最後の犬
実家で最初に飼われた犬は、白くて毛の多い中型の雑種で、シロといった。初めての犬は特別で大好きな存在だった。でも小学1年のあの日、家族で大きな街に1日出かけて帰ってきたら死んでいた。
自分には夢で見たような…何か虫の知らせがあってシロがいなくなるんじゃないかと心配していた。だからあの日、家族で出掛ける時にシロをひとり留守番させるのが気掛かりでしょうがなかった。出掛ける直前までシロはひとりで大丈夫か、ご飯は誰があげるのかとしつこく念をおして親に言ったのを覚えている。
そうして街へ出掛けて夜、家に帰ったら、やっぱりシロは死んでいた。
あれだけ言ったのにと、悔やんでも悔やみきれず泣きに泣いて何で死んだのか、ご飯をあげなかったからではないかと親に問い詰めたが死んだ理由は分からなかった。
誰もいない犬小屋は寂しくてしょうがなかった。
それから暫くして、うちでは雑種は2度と飼わなくて、代わりに細身の猟犬を飼うようになった。
父が鉄砲を趣味にしていたから猟犬を飼うことになったのだ。しかも黒くて毛の短い犬(ポインター)だったから、子供心に親を恨んだ。シロが死んだ責任は親にあると思っていたんで、そんな気持ちを全く無視して真逆の犬を飼うなんて!シロへの執着から、他の犬は絶対に嫌だあれは父の犬だと思った。
ペット業者の心の闇
いわゆるパピーミルを営むような業者って、
犬猫たちが家族と感じている人達からは想像も出来ない非人間に見える。でも、なんで?あの人達は動物に温かい感情を抱けないのか?
法律で規制するとかの話の次元と分けて、そういう人間がいる事について考えたい。
犬猫が人間のような感情を持った愛情深い存在とは思えない、モノに近い存在に見える心の闇について観察してみよう。
ちょうどいい観察対象がいる、それは私。
そういう冷たい感覚をずーっと持っていたから。
だから私の経験を語ることで、動物をモノと見るような人の闇を知り、それを減らす何かのヒントになるかも知れない。
次回から少しずつ話していこう。
犬猫は好きではなかった私
わたし自身は動物と暮らしていません。
希望はありますが物理的に無理な環境におりますので(^_^;)今は皆さんの可愛いワンちゃん、猫ちゃんを見て癒やしを頂いています。
こんな私ですが、以前は犬猫は好きではなかったんです。犬猫、動物に対しては温かい感情を持てず、一緒に暮らす人達に対しても、ちょっと偏見がありました。色んな経緯から自然とそうなってしまったんですけど。。。
でも、ある人との出会いがきっかけで犬に対しての意識が変わっていき…今に至ります。
犬猫…動物が世界を救う
最初にわたしの目標を言います
「動物たちと人間が仲良く暮らせる世界」(^^)
それが結果的に世界を救うと考えているから。
そんな考えから犬猫・動物と暮らす人達と繋がりたくなり、Twitterを始めました。人と動物を繋ぐ橋になっている大事な人達を応援し光をあてて行きたい(^^)/☆彡これが私の気持ち。
わたしは何か社会運動を起こしたいとかは無くて。むしろ非生産的、非クリエイティブなものを志向しています。ヘタな絵を描くのはその一環です(^^)/☆彡これが私の志向。
最後に、今の世界に必要なのは「無駄で、生産性がなくて、適当でいいかげんな存在」と信じてますw
そんな生産性のない人達も大歓迎です\(^o^)/
※ランチョンマットの蛙の怪